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“古い”刺激と“新しい”刺激を区別する神経細胞メカニズム

行動神経学系 の小川宏人准教授が刺激応答に関する大変興味深い研究成果を論文発表しました。この成果は北海道大学のプレスリリースでも紹介されています。以下,小川先生ご本人による解説です。

 

私たちは“慣れ親しんだ古い”刺激と“目新しい”刺激をどのように感じ,区別しているのでしょうか。動物にとって新しい刺激だけを検出し,それに注目することは,生存に関わる重要な課題です。繰り返される刺激に対して特異的に神経応答が弱くなる刺激特異的順応(Stimulus-Specific Adaptation:SSA)と呼ばれる現象は,動物の脳神経系に広く見られますが,それがどのような神経細胞のメカニズムによって起こるのか,また細胞レベルのSSAが動物個体の行動変化にどのように関連するのかはわかっていませんでした。私たちは,コオロギを用いて,この脳機能の謎に挑みました。

コオロギは腹部にある尾葉と呼ばれる感覚器官で周りの空気の流れを感知し,その突然の変化を捕食者の接近として捉えて,気流のやってくる方向から逃げようとします。私たちは,ボール状のトレッドミルに載せたコオロギに,短い気流パフを同じ方向から数秒間隔で繰り返して与えた後,続けて別の方向から刺激し,刺激中の歩行運動を解析しました。通常,コオロギは気流に対して刺激方向と逆向きに歩行しますが,反復して刺激し続けると,歩行の速さが徐々に遅くなっていきました。ところが,別の方向からの刺激に対しては歩行速度が回復し,素早い逃避行動を示しました。これは,コオロギが刺激の「方向」を手掛かりとして,繰り返された古い刺激と新しい刺激を区別していることを意味します。

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トレッドミル上を歩くフタホシコオロギ(左)と,反復刺激中のコオロギの歩行軌跡(右)。矢印は気流刺激の方向を示す。

 

コオロギの気流刺激で引き起こされるいろいろな行動には,気流応答性巨大介在ニューロン(Giant Interneuron: GI)とよばれる複数の神経細胞が関与していると考えられています。そこで,反復気流刺激とそれに続く新規刺激に対するGIの神経活動応答を,細胞内電位記録法を用いて解析しました。GIは,反復刺激に対するスパイク発火が徐々に減少していく「順応」を示しました。神経活動の順応は,細胞内のカルシウムイオンによってコントロールされているという報告があります。GIにカルシウムイオン濃度を減少させる薬剤(キレート剤)を注入すると反復刺激への順応は弱くなりました。このことから,GIの細胞内のカルシウムイオン濃度の上昇が順応を誘導していることがわかりました。

さらに興味深いことに,8種類あるGIのうち,GI 8-1と呼ばれるニューロンは行動変化にみられたように,別の方向からの新規刺激には,反復刺激よりも弱い順応しか示しませんでしたが,別のGI 10-2は刺激方向によらず全ての方向からの刺激に対して同じように順応しました。このような違いはなぜ生じるのでしょう?それを明らかにするために,GI 8-1とGI 10-2をカルシウム濃度感受性蛍光色素で染色して,反復刺激中の細胞内のカルシウム濃度変化を比較しました。その結果,GI 8-1は気流刺激に対するカルシウム上昇反応が細胞内の入力個所の一部に集中していたのに対して,GI 10-2では刺激毎にカルシウム上昇が蓄積し,細胞全体に広がっていきました。すなわち,GI 8-1では刺激によるカルシウム上昇が活性化したシナプス入力個所に限定して起こるため,繰り返し受けた刺激の情報だけが伝わりにくくなります。一方,GI 10-2では細胞全体でカルシウム上昇が生じるため,全ての方向からの刺激に対して反応性が弱くなるのではないかと考えられます。GI 8-1は歩行の速さや移動距離をコントロールする機能をもつため,方向依存的に順応する性質が繰り返される刺激に対してだけ逃避運動を弱めていくのに役立っているのでしょう。一方,GI 10-2は気流の方向情報を伝えるニューロンと考えられていることから,反復刺激中も気流の方向を正確に伝えるために,全ての方向に対して等しく順応するような性質を持っているのではないでしょうか。

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GI 8-1(左)とGI 10-2の反復刺激に対する細胞内カルシウム濃度上昇。赤い部分ほどカルシウム濃度が高くなった部分を示す。左上は蛍光色素で染色したニューロンの画像。

 

今回の研究は,一つの神経細胞がどのようにして「古い」刺激と「新しい」刺激を区別しているのかを明らかにしただけでなく,その細胞の性質が動物の行動にも反映されている可能性を示しました。人間のような哺乳類の脳は膨大な数の神経細胞から構成されるため,一つ一つの細胞が区別するのではなく,「新しい刺激専用回路」と「古い刺激専用回路」を並列して動かしている可能性もあります。しかし,比較的少数の神経細胞からなる脳でも,細胞の役割によって細胞内メカニズムを工夫することで,同じ課題を違ったやり方で解決できることは,小さなロボットや省資源化したコンピュータを設計する上でのヒントを与えることになるかもしれません。今後はGI 8-1やGI 10-2などの細胞の個性が,その役割に応じてどのように形成されていくのかを明らかにしていきたいと考えています。

 

Hiroto Ogawa and Kotaro Oka (2015) Direction-specific adaptation in neuronal and behavioral responses of an insect mechanosensory system. The Journal of Neuroscience 35:11644-11655.

 

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