いきものがたり「生き物ひとつひとつにはドラマがある」

生き物ひとつひとつが持つ驚異のドラマを実際に研究している先生と共に紹介していきます。

第4回 マウス ~生と死のバランス:神経ネットワークをつくる細胞はどのように生き、どのように死んでいくのか~

お話:小池達郎先生(分子細胞神経生物学 2009年3月北海道大学退官)

生き物の形態形成の過程では「予定された」細胞死が起こります。生き延びる細胞と死んでいく細胞の違いは?神経細胞の生と死のメカニズムを司る分子の研究について小池達郎先生にお話を伺いました。

【Q】=インタビュアー

実験動物としてのマウスの魅力

【Q】先生はプログラム細胞死について研究されているそうですが、実験にはマウスを使われるのですね。

【小池】私はもともと人間に興味があって、脳がどのように形成されるのかを知ることで、最終的には人間の行動にアプローチできればと思っています。細胞死の研究には線虫も使われますが、マウスはより人間に近いモデルであり、遺伝子の構造はもちろん、脳で発現する遺伝子がすべて調べられています。アメリカのアレン脳科学研究所が、マウスの脳で発現する全遺伝子をマップとデータベースにして公開しています(Allen Brain Atlas)。だれでも自由に見ることができますよ。

【Q】ラットではなく、マウスを選ばれたのはなぜですか?

【小池】本当はラットのほうが体が大きくて学習能力が高く、実験動物としておもしろいです。しかし、ラットはマウスに比べて純系が少ない。純系とは、長期にわたって近親交配を繰り返すことで遺伝的に均一になった生物です。多くの純系があるマウスのほうが遺伝子を加工しやすい、つまり必要な変異体をつくりやすいのです。外来の遺伝子を導入したり, 特定の遺伝子を働かなくさせたり(ノックアウト)する以外にも、ある時期のある部位に遺伝子を発現させることが可能です。分子を加工・操作して発現させることもできます。

細胞は自ら死ぬ運命をもっているもの

【Q】プログラム細胞死とはどういうことですか?

【小池】かつて細胞は無限に分裂を繰り返すことができると考えられていましたが、決まった回数の分裂を終えるとそれ以上は増えないことがわかっています。また、多細胞生物の細胞は自らを死に導くプログラムを持っています。

 とくに発生過程で起こる細胞死はプログラム細胞死と呼ばれ、形態形成に重要な役割を果たします。同じ細胞死でも壊死とは違い、炎症を起こさないのが特徴です。線虫の細胞はすべて、いつ生まれていつ死ぬのかあらかじめ決まっていますが、ショウジョウバエや脊椎動物ではそこまで厳密に細胞の運命が決まっているわけではありません。たとえば脳神経系ができる過程で神経細胞はシナプスを介してネットワークを形成します。神経細胞はシナプスから栄養因子を受け取って生存するので、ネットワーク形成に加わらない、すなわちシナプスと結合していない細胞が栄養因子を受け取れずに淘汰されていくというわけです。

<正常な神経細胞(左)と変性した神経細胞(右)>

正常な神経細胞(左) 変性した神経細胞(右)
 

【Q】細胞にとって、死ぬことと生き延びることはどちらが本来のありかたなのですか?

【小池】細胞は生と死のバランスの中で生きています。神経細胞の場合、栄養因子というシグナルが生のメカニズムを動かし、死のメカニズムを押さえ込むことで生き延びると考えられますので、死ぬことが本来のありかた(=default)になります。

 細胞の集まりであるネットワークでも同じようなことがいえます。この場合は、よく使われる回路は強化されて残るし、あまり使われない回路はなくなっていきます。たとえば日本人は「L」と「R」の音を区別できません。日本で育つと、音を区別する神経回路が形成される時期に「L」と「R」の違いを意識することなく成長してしまうからです。同じ日本人でもハワイで育った人は「L」と「R」を区別できます。もしかすると多くの神経系の病気も、細胞自身が死んでいくことよりネットワークが維持できなくなるところに原因があるのかもしれません。

神経細胞が死んでいくメカニズムは2種類ある

【Q】神経細胞の細胞死について、もう少し詳しく教えてください。

【小池】神経細胞は核を持つ細胞体と、そこから長く伸びる軸索や樹状突起(これらをまとめて突起と呼ぶことがあります)からできています。神経栄養因子がないことにより神経細胞の細胞死が起こるとき、細胞体はアポトーシス、軸索や樹状突起はオートファジーというそれぞれ別なメカニズムで変性することがわかっています。

 アポトーシスではミトコンドリアからチトクロームCが放出され、「死の執行酵素」と呼ばれるカスパーゼ-3が活性化して核の凝集化や断片化が起こります。また、オートファジーではまず脂質二重膜に細胞内のタンパク質を包み込んだオートファゴソームという細胞内構造ができ、これがタンパク分解酵素を内包したリソソームと融合して自らの内部のタンパク質を分解します。いってみればタンパク質のリサイクルであり、栄養環境の悪化(飢餓)に対する抵抗や、異常タンパクの処理のために起こると考えられます。

<神経細胞の変性>

神経細胞の変性

 

【Q】神経細胞の部位によって、それぞれ独立に変性が起こるのですか?

【小池】細胞体と軸索や樹状突起は機能的に区分けされていて、軸索は自律的な変性機構をもっているようです。軸索の変性が起こりにくいミュータント(突然変異体)マウスを使った実験でそれがわかりました。アポトーシスが起こっている細胞体部分ではエネルギー通貨であるATPレベルが維持されていますが、オートファジーが起こっている軸索部分ではATPレベルが落ちてしまいます。アポトーシスはエネルギーを使って「積極的に」細胞が死んでいくのに対し、オートファジーはエネルギーが枯渇することで細胞が死んでしまうイメージです。ミュータントマウスはATPの生合成に関わる遺伝子が局所的に適切に過剰発現しているためATPを合成できるので、オートファジーが抑制されて軸索の変性を遅らせるのではないかと考えられます。

【Q】軸索の変性を遅らせる要因となるのはATPだけなのですか?

【小池】ミュータントマウスの神経細胞を調べると、in vivo(生体内にある状態)ではin vitro(培養した状態)よりも軸索の変性スピードがさらに遅いことがわかりました。プログラム細胞死では、最後にマクロファージなどの食細胞が死んだ細胞を捕食するので炎症が起こりません。生体内にはミクログリアという食細胞があって、周囲の状況をモニターし、変性した細胞を見つけるとサイトカインという物質を放出して修復するか、または捕食して「片付け」ます。ミュータントマウスはミクログリアの捕食作用を抑える性質を持つようで、そのために培養系に比べて生体内での軸索の変性がさらに遅くなるのではないかと考えられます。

<ミュータントマウスWlds>

ミュータントマウスWlds

 

【Q】これからマウスを使った研究はどのように展開していくと考えられますか?

【小池】遺伝子を加工したり分子を導入したりしてさまざまなモデルを作れるのがマウスのよいところです。また、技術の進歩で生体でも培養系でも軸索やシナプスを可視化することができるようになってきました。私は生体内での分子の役割を調べることで、行動が起こる仕組みを知ることができると期待しています。遺伝子を増やしたり、塩基配列を変えたりという分子生物学の操作そのものはそれほど難しくありません。分子を操作することでマウスを操作し、さらにはマウスの行動を操作できる可能性があります。マウスの行動が起こる仕組みを知って、やがては人間の行動を知るところへ近づいていけるといいですね。