いきものがたり「生き物ひとつひとつにはドラマがある」

生き物ひとつひとつが持つ驚異のドラマを実際に研究している先生と共に紹介していきます。

第5回 トゲネズミ ~Y染色体がなくなってもだいじょうぶ。オスはしたたかに残り続ける~

お話:黒岩麻里先生(分子細胞遺伝学)

哺乳類の性別は、性染色体の組み合わせで決まります。メスはXとX、オスはXとYを持っていて、Y染色体に「オスになること」を決定づける重要な遺伝子が存在します。ところが南西諸島には、Y染色体がなく、メスもオスもX染色体1本しか持っていないネズミが棲んでいるのです。この不思議なネズミを調べることで、性決定のメカニズムを解き明かそうとされている黒岩先生にお話を伺います。

【Q】=インタビュアー

哺乳類の性別を決定するものは?

【Q】先生が研究されているネズミの性染色体は一般的な哺乳類とは違っているそうですね。

【黒岩】はい。哺乳類は基本的に性染色体がXX/XY型、つまりメスがXX、オスがXYと2本ずつ性染色体を持っています。ところが、私が研究しているトゲネズミにはY染色体がなく、オスもメスもX染色体1本しか持たないXO型なのです。

性染色体の組み合わせ

哺乳類のY染色体上にはSRY(sex-determining region on Y)という性決定遺伝子があります。もともと発生の初期段階ではすべての個体に性差はありません。Y染色体を持っていると、発生の途中でSRY遺伝子が発現し、それに誘導されていくつかの遺伝子群が連続して発現します。その結果、精巣ができてオスになるというわけです。Y染色体がなくなったらオスになれないはずですが、トゲネズミは違います。

【Q】Y染色体がなくてもオスの個体が生まれるのですか?

【黒岩】そうなんです。Y染色体を持たないトゲネズミはSRY遺伝子を持っていません。それだけでなくオスにとって大切な、精子形成に必要な遺伝子も持っていません。Y染色体以外の染色体を調べても、この2つは見つからないのです。でも、こんな重要な遺伝子がないのに、ちゃんとオスの個体がいて有性生殖しています。私はSRY遺伝子に代わる遺伝子がどこか別の染色体上にあって、その遺伝子がオス化を起こすスイッチを入れているのではないかと考えています。

【Q】Y染色体はどのように消えていったのでしょう?

【黒岩】Y染色体上にあったはずの遺伝子をいくつか調べたところ、SRYのように完全になくなったものばかりでなく、別な染色体上に移動して残っているものもありました。減数分裂の時にY染色体の一部がX染色体に移動したり、Y染色体上にあった遺伝子のコピーが常染色体に入り込んだりしたと考えられます。進化の過程でまず、オス化に重要な遺伝子の“代替遺伝子”ができ、その後でほかの遺伝子が別な染色体に移動したうえでY染色体がなくなっていったようです。代替遺伝子そのものはまだ確定されていませんが、「これかな?」という候補はあります。これからさらに解析を進めていきたいと思っています。

哺乳類のオスは絶滅の道をたどる?

【Q】Y染色体はしだいに短くなって消失し、やがて哺乳類のオスはいなくなるという説を聞いたことがありますが・・・

【黒岩】オーストラリアのグレーブス博士の説ですね。進化の途上で哺乳類が爬虫類から分化したころ、X染色体とY染色体は同じ大きさでしたが、進化にともなってY染色体はどんどん短くなってきたと考えられています。だからこの割合で短くなり続けるとしたら、今から1400万年後にはY染色体はなくなるだろうと予測したわけです。

ただし、今後も同じペースでY染色体が短くなっていくとは限らないでしょう。“少数精鋭”の遺伝子が消えずに踏みとどまるかもしれません。また仮にY染色体がなくなるとしても、それがオスの絶滅を意味するわけではないことをトゲネズミが証明しています。私はトゲネズミの性決定メカニズムを知ることで、「哺乳類のオス絶滅説」の妥当性を探ることができると考えているんです。

「日本のガラパゴス」に生きるトゲネズミ

【Q】トゲネズミは、見た目も普通のネズミとは違っているのですか?

【黒岩】トゲネズミは名前のとおり体を被う毛の一部がトゲ状です。外敵から身を守るための堅くて痛いトゲではなくて、笹の葉の形をした薄いプラスチック片のようなものですから、抱き上げると柔らかいタワシのような手触りです。彼らは南西諸島の限られた地域にだけ生息しています。高温多湿な環境に適応するために、毛がトゲに進化したのではないでしょうか。

沖縄島にはオキナワトゲネズミ、奄美大島にはアマミトゲネズミ、徳之島にはトクノシマトゲネズミと3つの島にそれぞれ別の種がいます。じつは、アマミトゲネズミとトクノシマトゲネズミは性染色体がXO/XO型ですが、オキナワトゲネズミはXX/XY型です。トゲネズミすべてがXO/XO型であるというわけではないのです。南西諸島は「日本のガラパゴス」と呼ばれるほど、独自の進化をとげたいきものが多くいますよね。トゲネズミ3種も1972年に国の天然記念物に指定されています。また、森林伐採による環境の変化や、マングースなどの外来生物に捕食されたことなどが原因で数が激減したため、絶滅危惧種にも指定されています。

トゲネズミ三種

 

【Q】そんな稀少な動物をどうやって手に入れるのですか?

【黒岩】トゲネズミは天然記念物ですから自由に研究に使うことはできません。そこで、国の許可を得て行なわれている保全調査の際に、捕獲されたトゲネズミのシッポの先をほんの少しだけ切り取って送ってもらい、皮膚の細胞を培養して実験しています。材料とするにはすべて国の許可が必要で、使えるとしてもごくわずかです。飼育して繁殖させようという試みもありますが、南西諸島の環境を再現できないためか繁殖は成功していません。研究対象としては、いろいろと制約の多いいきものです。

【Q】こんな不思議ないきものが日本にいるなんて、驚きです。

【黒岩】XO/XO型の性染色体を持っている哺乳類は、世界広しといえども、南西諸島のトゲネズミ2種と中東のモールボールと呼ばれる齧歯類の計3種のみです。こんなに貴重でおもしろいいきものが日本に、それも南西諸島だけに生息していることをみなさんに広く知ってほしいですね。私たちの研究成果がトゲネズミの保全活動のきっかけになってくれたら嬉しいです。