<沿革>

  旧地震予知観測地域センターは,地震予知研究計画の一環として,昭和51年(1976)4月,北海道大学理学部の研究及び教育のための附属施設として設置された.
  昭和40年(1965)から発足した地震予知研究計画によって,北海道大学理学部には,
・浦河地震観測所(昭和41年度;1966 Urakawa Seismological Observatory KMU)
・えりも地殻変動観測所(昭和45年度;1970 Erimo Geophysical Observatory ERM)
・札幌地震観測所(昭和47年度;1972 Sapporo Seismological Observatory HSS)
が設置された. この間北海道周辺では,1968年5月16日十勝沖地震(M7.9)をはじめ,1973年6月17日根室半島沖地震(M7.4)等の地震が発生し,被害を出した. これらの地震に関して、上記観測所では,貴重な観測資料を得ることが出来たと共に,いくつかの前兆現象を観測している.
  これらの観測所は都市雑音を避けるために僻地にあり,観測条件には恵まれているが,所員の努力にもかかわらず,得られた資料を迅速に処理し解析するためには多くの難点があった.
昭和49年より始まった第3次地震予知研究5カ年計画では,上記難点を克服し,さらに地震予知研究が推進されるよう計画された.昭和50年度に,地震及び地殻変動連続観測をテレメータにより集中観測する方式が導入された.これにより,3点の地震観測点を9点に増強された.そして,翌年,地震予知観測地域センター(昭和51年度;1976 Reseach Center for Eartquake Prediction RCEP)が設立され,集中観測されたデータは,センターのデータ処理システムで迅速に処理され,各観測所ごとに分散していた研究者,技術者もセンターに集中し,観測条件,研究条件は飛躍的に改善された.
  その後,第4次地震予知研究5カ年計画に基づき,昭和57年度(1982)より3カ年に渡り,地殻活動総合観測線として,地殻変動観測点を8ヶ所増設した.その結果,1985年には,北海道内の高感度地震観測点が21点になり,道北を除いて北海道内のM1.5以上の地震活動を漏れなく検知できるようになった.
  この間,1982年3月21日浦河沖地震(M7.1),1983年5月26日日本海中部地震(M7.7)が発生した.惜しむらくは,これらの地震が地殻活動総合観測線の設置前に発生したことである. 日本海中部地震は,改めて日本海東縁部の地震活動が注目され,奥尻島,石狩湾周辺に地震観測点を増設した. これ以後,約10年間の地震活動の静穏期が続いた.
1993年釧路沖地震から,非常に活発な地震活動が始まり,1995年以降,観測網の再構築が進められ,1996年5月現在,37地震観測点,19地殻変動観測点が稼働している.
  北海道大学地震火山研究観測センターは1998年4月に発足したもので、前身は北海道大学理学部に設置されていた浦河地震観測所、えりも地殻変動観測所、有珠火山観測所、札幌地震観測所、地震予知観測地域センター、海底地震観測施設(設立年度順)の諸施設である。これらが1998年4月に統合され、新しい分野が加わって、地震火山研究観測センターとして新たに発足したものである。その際に大学院化され、北海道大学大学院理学研究科附属施設になった。