数学と自然と芸術

新井朝雄

北海道大学大学院理学研究科

 

数学は学問の中でも最も厳密で普遍的な学問です。数学を学ぶことにより、純粋思考の高みにおいて、宇宙の崇高で神的な秩序と真理の世界へ参入することができます。数学の世界の真理と秩序は、私たちのまわりに広がる感覚的・物質的世界を根底で支えているものです。実際、自然界の中のいたるところに驚くべき数理的秩序が見い出されます。そうした数理的秩序の発見とその原理的解明は自然科学の基本的な目的のひとつです。したがって、自然科学ー特に物理学や化学ーの理論においては数学が本質的な役割を演じることになります。数学を行うことは純粋理念の世界に関わる高度に精神的で創造的な仕事です。しかし、それは、本質的な意味において、精神的に宇宙の根源につながる行為であると言えるでしょう。数学はそれ自体で独立した学問であり、基本的には、紙と鉛筆があれば、いつでもどこでもできます。この意味で、数学はすべての人に開かれた学問です。しかも各人は、原理的には、自らにのみ依拠しながら、自らの思考によって、万人にとって同一の普遍的世界(真理の世界)へ到達することが可能なのです。このように、ごくわずかな資本で、私たちは、数学を通して、厳密な認識を獲得するとともに、真理と美に満ちた高次の精神的世界ー上述の意味で宇宙の根源をなす世界ーにおけるひとつの領域へと上昇することができるのです。


物理学の理論をより根源的な意味において数学的な観点から研究する分野として数理物理学あるいは物理数学とよばれる学問領域があります。これは私の研究分野のひとつです。この分野の目的は、物理学的思考に加えて、数学的思考を駆使することによって、通常の物理学の方法では明らかにされない、あるいは隠されたままにとどまる、物理現象の普遍的な数学的構造あるいは理念を探究することにあります。この探究は、種々の物理現象を高次の数学的観点から 統一的に認識することを可能にし、広範囲にわたって適用可能な、より普遍的な理論をもたらす可能性をもっています。場合によっては、新しい物理学理論を構築することをも可能です(たとえば、古くはラグランジュやハミルトンによる解析力学、最近では、コンヌの非可換幾何学によるゲージ理論の構成)。純数学的な観点から は、普通の数学的方法では見いだされないかもしれない、新しい数学的な構造の発見とそれに基づく新理論の創始をもたらす可能性があります。つまり、数理物理学あるいは物理数学は、物理学と数学の双方の発展に独自の仕方で本質的な寄与をなしうるのです。この学問は、認識論的な観点からは数学的理念界と感覚的世界・物質界との見事なまでに美しく、神々しい輝きと響きに満ちた詩的照応を観照させてくれます。


真理と美が関わるもうひとつの領域として芸術があります。実は、芸術も数学と深く 関わっています。音楽と数学の関係を歴史上初めて鋭く認識したのは、古代ギリシャの偉大な哲学者にして数学者であったピタゴラス(B.C.572−492)です。彼は、今日ピタゴラス音階(完全5度音程によるスケールで作られる音階)とよばれる音階を発見し、後のヨーロッパ音楽発展の種をまきました。この音階の発見は、自然界には直接あたえられていない、(音の空間における)ひとつの数理的秩序が明るみだされたという意味で画期的なものであり、数学的精神あるいは数学的思考の力を示す好例のひとつです。"原始的な"数理物理学の偉大な成果のひとつと言えるかもしれません。ピタゴラス音階には、調和数列とよばれる数列やある種の対称性の理念が関与しています。したがって、この音階(あるいはその改良版である、純正律音階や平均律音階)を使っ て構成される音楽作品の中にさまざまな数学的構造が隠されていることは容易に想像されます。音楽作品の数学的構造を探究することにより、何か新しい数学が見えてくるかもしれません。しかし、この方面の研究はまだ深くなされてはいないようです。


芸術には、音楽芸術の他に、造形芸術(建築、絵画、彫刻など)があります。この芸術の 根底にも数学が横たわっています。たとえば、建築や絵画には矩形(長方形)の要素が陰に陽に使われますが、美を出現させるための矩形として、古来、特定の矩形が重要視され、用いられてきました。そのひとつは、異なる長さの2辺の比が 1 : (nの平方根)(n=2, 3, 4, 5, 6, . . . . . ..)になる矩形です。これをルートn矩形といいます。また、異なる長さの2辺の比率が [1+(5の平方根)] : 2 ーこれを黄金比といいますーになる矩形を黄金矩形といい、これは最も美しい矩形であると考えられてきました。実際、黄金矩形や黄金比は、 ピラミッド、古代ギリシャのパルテノン神殿、ミロのヴィーナス、グレコ、レンブラント、フェルメール、スーラ、セザンヌ、マチス、モヂリアーニ、ダリ、ピカソ、モンドリアン、北斎等の作品に陰に陽に使われています。黄金比というのは、数学的に見ると、無限に多く存在する数のうちでもたいへん興味深い数のひとつであることが知られています。こうした黄金比の数理と美の現出が深く関わっているのです。


 

黄金比は自然界では、特に、生物界と関連して現れています。たとえば、植物の葉序(葉の つき方)、巻き貝の螺旋形態、鹿、魚、人間の形態において黄金比あるいはその近似的出現(フィボナッチ数列)が見られます。 こうした事実と芸術が精神と魂の生命の発露を伴ってい ることを考慮するならば、高次の生命の理念と黄金比が何らかの関係があるようにおもわれます。私にはこれはたいへん興味深い照応のように感じられます。

 

このように芸術は数学と深く関わることが示唆されますので、芸術作品の(表面的でない)数学的構造の研究から、何か新しい数学が生まれることが期待されます。しかし、このような研究はまだ始まったばかりです。数学と自然科学と芸術の総合学としての数理芸術学あるいは芸術数理学が発展すれば素晴らしいとおもいます。


以上に述べました、数学、自然科学、芸術の関連についてさらに詳しいこと(特に哲学的・ 思想的な意味について)は、拙論「数学、自然科学、抽象芸術」(言語文化部研究報告叢書41『抽象芸術の誕生』、堀田真紀子編、北海道大学言語文化部、2000のp.211〜p.259)を参照してください。

 



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