ここでは,特に大学院生を対象に,発表に必要ないくつかのポイントを紹介します.
それでは,プロの研究者の卵といえる大学院生は,何を売りこむべきでしょうか.最大の売り物は,発表者自身です.博士の学位を取得すれば,いずれかの場所に研究者としての職を求めることになります. 首尾良く研究職を得るには,優秀な研究者であると,広く認識されていることが重要です.投稿論文が印刷されても,この学問細分化の時代には,専門がちょっと違う人には読んでもらえません. しかし,大学院生が自分を売りこむには,口頭・ポスター発表で自分を強く印象づけることが必要です.もちろん大学院生も,投稿論文の宣伝という形で口頭発表ができれば,それに 越したことはありません.その場合は既にプロとしての厳しいスケジュールで仕事が出来ているということですから,自分を売る上でも非常に有効です.しかし,実際にはなかなかそうはいかないですし,また卵であるわけですから必ずしもそうできなくても良いでしょう.
これについては,さほど説明を要しないでしょう.良い研究ができるということが,研究者として重要な要件であることは疑いありません.問題は,研究内容がよくても,後の2点を売れないのであれば,自分の売り込みにはならないということです.
大学院生の研究は通常指導教官が共同研究者になっています.この場合に理解が浅いと,良い研究であっても指導教官の力によるもので,学生自身の力ではないと思われます.例えば当然予期するべき質問に対して答えられない,などとなれば研究を十分に我が物としていない証左と取られます.そうならないためには,とにかく良く考えておくことが大事です.IBMの社是は,"Think"だったそうですが,研究者に必要なのは深く考えること"Think deep"です.大学院に在籍中は,そのために教官を徹底的に利用しましょう.
研究者として売りこむということは,どこかに研究者として採用されるということです.通常そのどこかの上級の研究者が採用権を握っていますので,採用された場合には採用した方と職場の同僚となるわけです.すると誰だって,イヤな奴には来て欲しくないですね.また,人間的に問題があってコミュニケーションがうまく取れない,と思われることも大きなマイナスです.コミュニケーションがうまくとれないと,本人が好きな研究なら力を発揮できても,チームの一員としては機能しない場合が多いのです.そして科学も多くの分野で,チームとして複雑な作業をこなすことが要求されるようになってきており,チームワークができないと思われると大きなプロジェクトを持つ可能性のある研究室からは敬遠されることになります.
質問を受けた場合に,どのような内容を答えるかと同様に,どのように答えるかが重要です.
どのような世界でも,暗黙に期待されている振る舞いがあります.それを大きく逸脱する場合は,そのような人であるとみなされます. 研究者の世界はラフな格好でも許されるので,学会発表であるといっても,背広を着る必要はありません(なお一部の教官には背広を着る方が なお受けが良いかもしれませんけれど).しかし例えば,金髪・スキンヘッド・皮ジャンバーなどは奨められません.ある大学院生が スキンヘッドと背広で国際学会で発表したことがありますけれど,アメリカの研究者の意見を含めて好意的な反応とは言えませんでした. もちろん,どうしてもそうしたい,そのために変な奴だから一緒には仕事をしたくないと思われてもいい,というならそれはそれでOKです.多くのことがそうであるように,自分が被る可能性のある 不利益を甘受するのであれば,個人の自由の範囲です.
謙譲を美徳とする日本で生まれ育つと,つい謙譲・卑下したくなります.例えば,お土産を持っていっても,「つまらないものですけれど.」というでしょう.しかし謙譲は科学では悪徳でしかありません.
例えば,「つまらない結果だが,」「ほんの初歩的な紹介だが,」などは,本人は卑下・謙遜のつもりで述べても,科学の世界では卑怯(unfair)です.「つまらない結果だが」ということは,「つまらない結果と断ったので,これから話す結果が本当につまらなくても怒ったりしないで欲しい」ということです.つまりこの謙譲ともとれる表現を聞き入れることで,聴衆は「つまらない」と非難する権利を失うのです.こういう発表に対して正しい応対は,「つまらない結果ですが,」と言われた段階で,「つまらないなら」時間の無駄だから発表を止めよう,と提案することです.また「ほんの初歩的な紹介」などと述べたら,「そういう卑怯なタワゴトは止めるか,発表自体を止めましょう」というべきです.
また上と共通しますけれど,自分の発表をnegativeに総括することは止めましょう.Negativeな情報を受け入れるのは,positiveな情報を受け入れるよりも誰にとっても苦痛です.謙譲と思ってnegativeに総括することは,positiveに総括すれば参加者がより理解しやすいであろう情報を,理解しづらくして参加者の負担を増やしているのです.自分は謙譲の美徳をわきまえているというポーズを取り,参加者には一層の負担を強いるのでは,やはり卑怯と言われてもしょうがありません.
もちろん謙譲の美徳は,人間づきあいの面では多いに発揮してください.ただし研究室のゼミや授業を含め,科学の仕事の場では厳禁です.
学会等での発表は件数が限られることが多いものです.例えばAGUでは第一著者として発表できるのは通常1件です.したがって,その発表時間が自分を売り込む主たる時間です.しかし,質問をすれば,より多くの時間自分に注目を集めることができますし,的確な質問はその質問者の深い理解を他の参加者に深く印象づけることができます.大学院博士課程の院生は,学会等でどんどん質問をして自分を売りこむべきでしょう.良い質問をするにも修練が必要ですから,研究室のゼミ等でもどんどん質問をすることが望まれます.
質問ではできるかぎり速く,問うべき疑問を述べることが必要です.「あなたは,これについてはこう言った.あれについてはああ言った.一方,...」と続いて,最後に質問を述べたり.一つ明らかに本質ではない確認の質問をして,その答えが出されて,次の本質であろうという質問がすぐ出てこない,というのではダメです.できるだけはじめの方に大事な情報を持ってくることをtop
heavyの原則といいます.top heavy の原則は発表でも,質問でも,文章でも共通なものです.ただし,質問は会場にいる全員の時間を使っている(しかも発表と違ってスケジュールが組まれているわけではない)という点で,最もtop
heavyに留意するべきです.
できるだけ本格の質問に先立つ確認の質問はしない方が望ましいですし,確認の質問をするならその答えが得られるやいなや本質問を出さなくてはなりません.慣れないうちは質問をメモしておくといいでしょう.私は英語で長めの質問を行う際は,メモしておきます.
「...だと言っているのは分かるんだけれど...」と述べて,「私は理解できませんから,どうにかして下さい」というニュアンスを漂わせたりするのは,卑怯(アンフェア)です.なぜなら,質問者が何を欲しているかを明示するというコストを払わずに,それを得ようとしているからです.質問にこういった言外の意味を込めてはいけません.ウチの研究室でこういう質問をすると,「今のは卑怯な質問だ.」と言われます.
私の経験では,前の座席に座ると理解しやすく,後ろの座席に座ると理解しづらいと思います.おそらくプレゼンテーションが自分の視野角に占める割合が大きいほど,脳が多くの刺激を受けるので理解が促進されるのでしょう.どうせ時間が拘束されるのであれば,よりよく理解した方が得です.また,よく理解すれば適切な質問をすることもできます.なお,発表者が右利きの場合,通常OHPの聴衆から見て右側に立ちます.そうすると右手にポインターを持って画面を指示する場合に,からだを聴衆により向いたままにすることができるからです.そのために,聴衆から見て右前方の席は発表者の体で隠されることがあります.したがってbestの席は,左前方です.