実験動物と研究テーマ

本研究室では主にフタホシコオロギ(Gryllus bimaculatus)を実験動物として用い,特にコオロギの気流感覚系を介した逃避行動と鼓膜器官を介した音源定位行動をモデルとして、感覚情報処理や運動制御に関する神経システムアーキテクチャに関する研究を行っています。現在は下記のようなテーマの研究が進行中です 。


音源定位ナビゲーションを実行する神経回路の全計算過程の解明

メスコオロギはオスの鳴き声(誘引歌)に対して近づいていく「音源定位」行動を示します。この行動は神経行動学の古典的なテーマとして古くから研究されてきましたが,歌の聞こえてくる方位がどのように表現されるのか,さらにその方位情報に基づいてどのように歩行運動が制御されているのかについては謎に包まれたままです。私達は防音ルーム内に作った実験アリーナで計測した音源定位行動を定量的に解析し,その行動がいくつかのフェイズから構成されていることを明らかにしました。今後,トレッドミル上で音環境を再現した聴覚VR環境下で定位中のコオロギの脳活動の電気生理学的計測やイメージングによって,音源方位表現と音源定位を実行する神経メカニズムを明らかにします。


巨大介在ニューロンにおける刺激方向の情報抽出機構に関する研究

8方向からの気流刺激に対するGI10-2のCa応答

コオロギは尾部に一対の尾葉と呼ばれる気流感覚器官を持ち、気流を受容する感覚毛からの入力は最終腹部神経節内の巨大介在ニューロン群(GIs)によって処理されます。GIsは1次感覚ニューロンから気流の方向や周波数の情報を抽出して脳などの上位中枢に伝達すると考えられています。本研究室では,一つ一つのGIの樹状突起におけるカルシウムイメージングと細胞内電位記録によって,気流方向の情報表現様式とGIでの情報抽出アルゴリズムを明らかにしようとしています。


気流方向情報の集団細胞活動によるコーディング様式の解明

気流刺激に対するGI10-2の方向選択性

刺激方向をはじめとする感覚情報は,脳内では特定のニューロンではなく,複数のニューロン群集団活動として表現されています(Population coding)。コオロギの脳や胸部神経節で読み出される気流方向情報も,GIsをはじめとする複数の上行性投射ニューロン群でPopulation codingされていると考えられていますが,どのくらいの数の,どのような特性を持つニューロンがコーディングに関与しているのかは分かっていません。そこで,ベイズ推定を用いて,多数のニューロンから記録した神経活動から逆に刺激方向を数理的に予測する(デコードする)し,気流刺激方向の情報表現様式とそれに関与する神経回路を明らかにしようとしています。


異種感覚統合による歩行運動変化の解析

球形トレッドミル装置

コオロギの鼓膜は同種の呼び歌だけではなく,我々の聞こえないような高周波音も受容します。これは捕食者であるコウモリの探索音波を捉えていると考えられています。最近我々は,高周波音を聴かせてから気流刺激を与えると,逃避歩行運動の移動方向や反応閾値が変化することを報告しました(Fukutomi et al., 2015, 2017)。この異種感覚統合による行動修飾のメカニズムを探るため,様々なパターンの組み合わせ刺激に対する行動を計測するとともに,脳内でこの行動修飾に関連するニューロンを探索しています。


逃避戦略における行動選択の意思決定機構の解明

コオロギは気流刺激に対して,走って遠ざかるだけでなく,ジャンプしたり,その場で動かなくなったりなど,いろいろな行動を示します。我々は特に“Running”と“Jumping”の行動がどのような刺激に対してより選択されやすいのか、またそれぞれの行動にどのような利点があるのかを調べています。その結果,逃避行動が単なる反射ではなく,刺激に応じて適切に「意思決定」されていることがわかりました。現在,自由行動下のコオロギからの神経活動記録によって,逃避行動選択の意思決定機構についての解析を進めています。